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みゆぷりあんぬ日記

楽しいおでかけ、おいしいおやつ

環境の変化に対して

結婚して、特にゆかりもなく知り合いもいない茨城県水戸市に転居した。仕事は続けているけど、基本的には平日は夫としか会わないし、出かける場所といえばスーパーか、ランニングスポットとしての公園くらい。1日に食べる食事はすべて自分が作ったもの。淡々と毎日を過ごしている。

東京での生活を、楽しかったなあと思い出す。通勤時に好きなパンを買って、会社に行けば同僚がいて、会社の帰りにごはんを食べに行ったり、飲みに行ったりしていた。家で自炊する日のほうが多かったけど、「今日は○○食べたいな」と思ったものを帰って作ることができた。本屋さんや雑貨屋さんや喫茶店のような、フラッと遊びに行く場所もたくさんあった。

と、書くと前の生活に戻りたいようにみえるけど、そういうわけではなくて、「前の生活はよいものだった」という上で、「よい思い出」としてすでに取り出して懐かしめる状況にあるということに私は気づいたのだった。京都から東京に引っ越したときは、新しい環境にどうにか適応しようとすることでいっぱいいっぱいで、「京都での生活楽しかったね」といえるようになったのは1年くらい経ったあとだった。そう思うと、あんまり環境の変化が得意ではないわたしも成長している。夫の支えも大きいのだろう。

今の生活は、イレギュラーなタスクがまだたくさんある時期で、楽しめるというところまでは到達していないのだけど、日に日に慣れと、余裕を感じるようになってきた。もっと余裕が出てきたらやりたいことがたくさんあって、楽しみにしている。

世界が終わる前日に食べたいもの

おかんのおでん
おかんの餃子
おかんの焼売
おかんのロールキャベツ
お姉ちゃんのからあげ
炊きたてごはん
飲み物は麦茶
デザートは桃か梨

世界が終わる前日なのに、母は休む暇もなさそうなラインナップ。大人になって色んな場所の色んな食べものを食べたけど、最後に食べたいもの考えると実家で食べていたものばかり浮かんで不思議。姉のからあげは姉の家に行くたびにリクエストしている。なんかうまい。わたしも母や姉のようにそういうごはんが作れるようにならないとなあ。

好きな食べ物を聞かれると少し違う回答になりそう。だし巻きとか、六曜社のミルクコーヒーとドーナツとか、ホソとか、牛タンとか、上野のインドカレーとか、焼きトンとか、ビビンバとか冷麺とか、ステーキとか、グラタンとか、ビールとか、生牡蠣とか。

でも最後に食べたいのは母のごはん。あとお姉ちゃんのからあげ。

世界が終わるのがさみしくて泣きながら食べるんだろうか。

悲しむこと

この世界の片隅に』を観た。 ※作品の内容をほんの少し含みます

 

戦争を体験したことがないので、一番類似の経験を照らし合わせているだけなのかもしれないけど、東日本大震災のことを思い出しながら観ていた。市民にとっては、自分とは関わりのないところから突然災厄が降りかかるという点で、実際に戦争と震災は似ているのかもしれない。

 

あまりにもたくさんの人に同時に災厄が降りかかるとき、人はつらいと言わなくなる。全然よくないことを「まだ〜だからよかった」という。震災のとき、後輩が津波で幼馴染を亡くしたにも関わらず「遺体が見つかっただけでもよかったです。」と言った。遺体が見つからないよりは見つかった方がいいだろうとは思う。でも、亡くした悲しみは軽くなったりはしない。どうか悲しんでほしいと願った。ただ、あのとき、正常に悲しむことができた人はどれだけいたのだろうか。

 

映画の中でも、大きな悲しみをさも「仕方ないのだ」と割り切ったように話すシーンがいくつもあった。道端の遺体を見て息子だと気づかなかったお母さんの悲しみは計り知れないはずなのに。

 

悲しみを持ち合って、どうにか抱えられる形にして生きていくんだなと思う映画だった。どうか、悲しいことが悲しめる世界でありますように。