みゆぷり日記

楽しいおでかけ、おいしいおやつ

大歓声

高校バスケは試合のとき応援がつく。控えの選手に加えて、女子の試合なら男子部員がメガホンを持ってギャラリーに立ち、大太鼓やラッパなどで音頭を取って、シーンごとに用意された応援をする。試合開始時、ディフェンス時、オフェンス時、シュートを入れたとき、スリーを入れたとき、ファールをもらったとき、バスカン決めたとき、それぞれいくつかパターンがある。

スリーを入れたときの、自分のためだけに大歓声が上がるあの感覚、忘れられないんだよな〜〜〜〜〜。

死ぬまでにもう1回何か大歓声受けたいけど何か方法ないかな。

たまにこういうことを思い出したり考えたりしてるけど、その度に自分は結構目立ちたがりなんだろうなと思っている。

決まったし伝えておくか、くらいの温度感で「3月から正社員になるよ」と母に告げたら、「泣きそうなぐらい嬉しい」と言われてびっくりした。アルバイトとして4年、契約社員として1年すでに勤めていたし、契約社員と正社員で条件の違いがあまりなかった。正社員にしていただいたことはとてもありがたかったけど、よかったなあ、というより、もっと価値を発揮できるようにならなきゃな、という気持ちが強かった。

母の言葉に内心大げさだなと思ったけど、そういえば、つい最近自分も似たようなことをしたと思い出した。

わたしは姉と同じ会社に勤めている。姉は去年癌になり、休職し、8ヶ月の闘病の後、復職した。

復職が発表され、姉が全社員の前に立った時、まったく歯止めがきかず号泣した。ああいう泣き方をするのは久しぶりだった。「戻れたんだ」という安心だった。起きたことはなくならず、背負ったものもあるけど、それでも、元いた場所に戻ってこれたことが、嬉しかった。病気と闘い、打ち勝つことで、人生の中でとても大事なもののひとつである、仕事をなくさずにすんだ。

私は、5年前、大学卒業と就職を目前に控え、被災した。故郷を離れ、京都に家を借り、アルバイトで生計を立てた。京都の生活の特に1年目は、経済的にも、精神的にも、まあまあつらかったのをうっすら覚えている。もうだいぶ忘れてしまったけど。

母は、もしかしたら、姉を見て泣いたわたしと同じように、災厄によって人生を損なわずに済んだことを安堵したのかもしれない。震災からおそらく3日、原発が水蒸気爆発を起こし建屋が吹き飛んだニュースを見た直後に私だけを京都に送り出した母は、その決断が誤りであったのではないかとずっと悩んでいた。

そんな気も知らず、京都に慣れ、同僚にも友人にも恋人にも恵まれ、さらに東京に移ってもなお人に恵まれ、私はそれなりにやってきた。大した成果はないけど楽しく生きてきた。

あのとき京都に行ってよかったね。今の会社に入れてもらえてよかったね。これからも自分の選択にそういってもらえるように生きたい。

近況書きたいけど家にインターネットがない

ブログ全然書いてなかった。今年の春ころから大きい環境の変化がたくさんあって、あまりうまく適応できず調子を崩し、生活を保つのに精いっぱいだった。

どうにか一人暮らしをはじめ、一から体勢を立て直そうとしているところで、やっと生活を営むだけでなく楽しむ余裕が出てきたのがここ数日。もっと勉強してもっと仕事してもっと遊びたい。

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東京はいろんなおいしいものがあって楽しいぞ。

とにかくはやく家のネットを開通したい。