みゆぷり日記

楽しいおでかけ、おいしいおやつ

2012

2011年、震災があり京都に移住した1年の環境の変化は、生きてきた23年の中で最も大きいものだった。環境は変化しても自分がすぐに変われるわけじゃない。生きるだけで精一杯の苦しい1年だった。それに対し、2012年は自分が変わる1年だった。社会に求められる力をもって正社員として働きつつ、おいしい料理が作れて、要領よく掃除洗濯をし、たくさんの人々と積極的に関わり、たまの恋人との時間を楽しみ、お盆やお正月には実家に帰り親孝行をするという"理想の自分像"を捨てた。今まで、理想であろうとしても無理で、それでも理想であろうとして、理想に程遠い自分に絶望し泣きながら生活していた。早く一生が終わらないかと願っていた。でも生きたかった。じゃあどうすればいいのか?あきらめればよいのだと気づいた。「他者にとって完璧である」自分の理想像に意味は無い。他者は私に何も求めていない。私に何かを求めている、私を愛してくれる人々は、私が幸せそうにしていることだけを求めていた。私は私として幸せであればいいのだと思った。

何が幸せかどうかはわからないけど、とにかく無意味にしんどいことをするのをやめた。すぐに好きなことを見つけて積極的に活動することはできないので、おいしいごはんを食べたり、お菓子を作ったり、料理の練習をしたり、体を動かしたり、近場にお出かけしたり、そういう心地良いことを大事にしながら、平穏な毎日を送るようになった。結果、私はとても健康になり、よく笑うようになった。自分がよく笑うことで恋人もよく笑っていることに気づいた。どっちが先かはよくわからないけど嬉しかった。

私生活が安定することで、もっと人と関わろうという気持ちが湧いた。会社の飲み会やイベントを今まで怖くて(みんな共通して持っている興味を私はもっていなかったから)避けていたけど、少しずつ参加するようになった。人と関わらなかったからわからなかったけど、仕事で得た知識や考え方はそれなりに自分の中で育ち、立派ではないけど決して無ではない。そして、知識や考え方は人と関わることでさらに豊かになることに気づいた。私にしかできない仕事がなくても、私のしている仕事は無意味じゃないと思えた。

気づいたらすっかり幸せになっていた。不安なことや抱える問題がなくなったわけじゃないけど、それで絶望する必要はない。社会性に欠け、要領が悪く保守的なのがわたしであって、それならそういう生き方をすればいいだけだと思う。抱えていて苦しい短所は克服していきたいけど、苦手なことやつらいことを無理して続けることはない。

まだまだこどもで未熟だけど、自分の中ではずいぶん成長した2012年だった。2013年は、楽しく元気に生活しながら、春くらいから何か1つ新しいことを始めようと思っている。せっかく若くて独身で自由だし。何を始めるか考えるところから始める。楽しいことを始めよう。