みゆぷりあんぬ日記

楽しいおでかけ、おいしいおやつ

自己犠牲について

人の行動の動機は結局のところエゴなのでは思っている。エゴを醜いとも思っていない。ただ、他者のために自己を犠牲にする行為を美しいとは思っていない。

朝日新聞デジタル:「助けなきゃ」女性は踏切へ 父「やめろ」 JR横浜線 - 社会

数日前だけど、踏切で倒れている男性を助けようとして踏切に女性が侵入し、自身は亡くなってしまったニュースを見た。悲しいニュースだった。お父さんの心情を考えると胸が痛む。

亡くなった女性の行動は理解できる。おそらく自分が同じ場に立ち会ったら助けたいと思うと思う。ただ、実際に助けに行く判断をするかはわからない。この方の助けに行った行動を賞賛はしない(否定はしない)。

同じほど切羽詰まった状況ではないけれど、中学生のころ、部活で学校の周りをランニングしていたとき、民家の庭で飼われている大きい犬が、2〜3歳の女の子の首を噛んで振り回している場面に遭遇した。犬は明らかに狂っている形相だった。学校の目の前に建っている家だったので、下校中の生徒などがすでに周囲で立ち尽くしていた。わたしはそのとき、走りながら「助けなければならない」「大型犬だけどつながれている」「わたしが噛まれても死ぬことはない」「犬の前に私が立ったら犬は私を噛むだろう、顎は1つしかないから女の子は離すしかないだろう」「噛まれた場合引いてはならない食いちぎられるから」などなど考えてそのまま犬に向かって突っ込んでいった。誇張ではなく考えてから行動した(考えている間見ていた光景を今でも覚えている)。思惑の通り犬は私を噛んで女の子を離した。女の子は周囲の生徒に保護され(救急車が呼ばれた気がするけど覚えていない)、私は太ももなどを噛まれるものの自力で脱出した。女の子は主要な首の血管に損傷がなかったために大事にならず助かった。わたしも、脚が太かったのと(結構ガタイがよい中学生だった)ソフトボールの練習着に保護されて歯形と青あざで済んだ。

その件の後、先生方は私を勇敢だと賞賛した。一方両親は手放しで賞賛することはなかった。助ける側が怪我を負っては満点ではないと言った。人生を損なうような重傷ではなかったので、叱られたり悲しまれたりはしなかったし、私の行動を肯定してくれたけど、そういうことを言われたのをよく覚えている。そして、非常に納得した記憶がある。私自身、前述の通りそれなりに考えてから突っ込んだ。状況から考えればスカート姿だったり、華奢な女の子だったら突っ込むべきではなかった(笑い事でも何でもなく)。大型犬に脚や手の一部を食いちぎられたとしたら、もうその場は完全に惨状と化す。両親は悲しんだと思う。周りで見ていた人や、助けられた女の子の親も苦しんだと思う。

人を助けようという衝動自体が誤りということはないと思う。でもその行動の結果どうなるかというのはどんな場面でも考えないといけないと思う。考えのない行動は、自分の命だけでなくまた他の誰かの命も危険に晒す可能性がある。

自己犠牲を美しいとすること自体も否定はしないけど、衝動に駆られた行動を美談とするだけでなく、こういうケースはどうするのが一番犠牲を少なくできるかをもっと報道してほしいし、考えていきたいと思う。