みゆぷり日記

楽しいおでかけ、おいしいおやつ

「自分」の理解

最近まで、具体的には今年の8月の末くらいまで、「苦しんでいないといけない、楽してはいけない」という強迫観念をもって生きてきた。たぶん中学生ころからずっと。だから、目の前に選択肢があれば最も苦しいものを選択したし、自分は無能である、無価値であるという思い込みに負けないために、常に何かしら将来に保険をかけ続けてきた。「別にやりたくもないけど、将来のためになりそう」くらいの気持ちのものを必死でやり続けたりした。苦しいことに意味があった。とにかく楽してはいけなかった。でもそれの無意味さにある日突然気づいてしまった。気づいたのは自分との長い向き合いの結果ではあったけど、変わったのは突然だった。行動の主軸になる価値観が、行動の根本的な動機が変わった。今の大事さ、客観的に見た自分の力、無駄な不安と無力感と絶望が自分の思い込みによるものだということに、あっさり納得がいった。頭ではわかっているけど、ずっと抜け出せずにいた場所から、つい2ヶ月前くらいに突然脱出した。

それで何が起きたか。楽になった。すべて自分次第で、未来はわからないので明るくもなく暗くもない。絶望もしないけど、世の中は希望にみちている!とハイになるわけでもない。現実を現実として捉えられるのはこんなにも人を安定させるんだなと驚いたくらいだった。どうにもならないめぐり合わせみたいなものはある。でもそれも含めてすべて自分次第だと思えることで恐ろしくすっきりした。

ただ困ったことも起きた。子供の頃から頼ってきた価値観が変わってしまったせいで、どうやって物事を決めたらいいか分からない。苦しいことに価値があるうちは、とりあえずためになることはやっておけばよかった。今はもう違う。やりたいこと、やるべきと判断したことしかやりたくない。でもその判断はとてもむずかしい。楽しいことだけして生きていけるほど能力があるわけではない。実際に未来への投資は必要。でも何に投資するか、考えなおさなくてはいけなくなった。多分すぐには決まらない。手持ち無沙汰もそれはそれで楽しい。無意味じゃない。ずっと読めずにいた本読みたいとか、料理練習したいとか、本当はやりたいことなんて腐るほどあったんだ。生きるためだけに生きることに何の意味があるんだ。せっかく健康で考えられる脳みそもって生まれてきたんだ。楽しまないともったいない。

行動の責任を自分で負えるようになったことは私の大きな支えになっている。私にとって経済的な自立は精神的な自立に必要だった。

しばらくはぼーっとしてもいいと思っている。生きるだけで精一杯じゃなくなった。余裕を得た。やっと自分の選択ができる。よかった。急がず、焦らず、新しい価値観と向き合おうとおもう。