みゆぷり日記

楽しいおでかけ、おいしいおやつ

逃げた記憶

母親の前で売春させられた女の子がグループホームみたいなところに保護された。そこは何らかの事情で養育する人間がいない子どもたちが生活する場所だった。ちゃんと専門の人間がいるけど、児童養護施設より小規模で下宿に近い感じ。大阪のあいりん地区にあって、狭い、あまり「施設」っぽくない印象だった。

 

その女の子と向き合うスタッフのおばちゃん。女の子はただ泣いていて、おばちゃんはそれを見守っているだけだった。「向き合うことしか、受け止めることしかできない。」そんな趣旨のことをいっていた気がする。

 

これは大学1年のとき授業で見せられたドキュメンタリーかなんかの話。「わたしはこの子に何ができるんだろう」と考えて、考えて、考えて、結論が出なくて、いつのまにか就活の波に飲まれて、いつのまにか京都にいて、ずっと自分のことしか考えてなくて忘れていた。

 

今でも何ができるかわからない。女の子が売春する横で母親は携帯いじってタバコ吸ってた。売春斡旋したのももちろん母親。たった数万で。

 

その女の子が泣いている目の前で、ただ見守ることさえ、私はできる気がしない。

 

社会福祉学科に在籍していた4年間は、この世の中にどんな困った状態の人がいるかを知るのも1つの勉強だった。いっぱいいた。安定した収入があり、家があり、家族や周囲のたくさんの愛情に包まれて育った私には想像もつかない世界で生きる人たちが、世の中にいっぱいいた。目の前の困ってるひと、プロとして救えますか?という問に、私は色んな理由をつけて逃げた。

 

で、別に一般企業受けたこと自体は間違いじゃないし(今結局フリーターだし)、福祉職につかなきゃいけない!とは1ミリも思ってない。重要なのはこれが私の1つの「逃げた記憶」であるということ。

 

私は最近になって「自分は故郷や両親を捨てて逃げた自分が許せてないんだ」ということに気づいた(自覚した)。そしてそれが自分の「逃げた記憶」で、それを自分の中で消化するというか、許せる自分にならないと生きていけないと思っていた。でも今日ふと逃げた記憶なんて腐るほどあるじゃんと気づいた。逃げた記憶に押しつぶされて泣いていることが少しの意味ももたないことにも。(いや実際泣いてるわけじゃないけど)

 

甘えてんなって話。また、人生で起こりうる似た状況のとき、今度は逃げなくてすむ大人になるしかないよ。

 

下を向いているひまはないのだ。